爺ケ岳(鹿島槍・五竜は断念)
前泊@信濃大町)
【23日】柏原新道登山口(07:20)・・・種池山荘(10:30)・・・爺ヶ岳南峰(12:15)・・・赤岩尾根分岐(冷乗越)(13:45)・・・冷池山荘泊(14:00)
【24日】
冷池山荘(05:50)・・・爺ヶ岳中峰付近(07:15~07:55)・・・種池山荘(08:45)・・・柏原新道登山口(11:10)
自分が遭難者救助にかかわるとは思ってもみなかった山行だった。天候不順。2日目に冷池山荘から縦走する予定だったが、翌24日の天気予報が午後になって急変。3時に起床し4時出発に備えたが、玄関先で雨が降り始め雷を伴う暴風雨となった。5時まで待つうちに、鹿島槍と爺ケ岳の双方から、それぞれ早朝発の登山者がこりゃダメだと戻ってきた。6時近くに雨脚が少しマシになってきたが風は相変わらず。縦走をあきらめ戻ることにした。
こんな日は爺ヶ岳は巻くに決まっている。中峰の巻き道、2人の先行者が黄色いツェルトを広げているのが見えた。こんな所でビバーク?近寄ると1人のシニア男性がツェルトの中で目を閉じてガタガタ震えている。こりゃまずいと、銀色のレスキューシートを急いで広げ彼の上半身を覆ってやる。「この人、倒れて動けなくなっていたんですよ」と話す先行者の1人は、夕べ冷池山荘で知り合った岩手の人で互いに覚えていた。遭難者はなんと雨具を来ておらず、ウィンドブレーカー姿だった。ザックカバーはしているのに。
震え方がただ事でないことを感じさせたので、スマホの発信履歴がすぐに見つかった冷池山荘に電話する。警察に連絡してくれないと自分たちは動けない、と言われる。本人は手が震えてスマホを操作できず、先行者の1人に110番してもらう。必要な情報をやり取りする中で、ようやく本人の口から東京都某市に住む70代だと分かった。体温が下がらないよう手持ちの非常食を食べさせる。カップルが通りかかったのでテルモスのお湯はないかと聞いたところ、張るタイプのホカロンなら持ってますと女性はザックを下ろし、遭難者の首に張ってくれた。男性の方はSOLを広げて掛けてやる。30~40分も立っていたらこちらが震えて凍えそうになったので、身体を動かしたかった。
「どうですか?」「かなり良くなってきた」ーー震えも止まったようだ。良かった。なんとか歩けると言うので、SOLとレスキューシートをかぶせたまま種池山荘方面へ皆でとぼとぼ移動を始めた。ザックはカップルの男性が持った。間もなく、種池山荘方面から屈強そうな男性が2人駆け上がってきた。救助だと言うので彼らにバトンタッチ。こんな次第である。
対処は適切だったのか。救助要請を急いだのは間違いではなかったと思う。低体温症に気を取られ、怪我の有無を確認することを忘れたのは減点だろう。貴重な経験だった。そして、ツェルト(+レスキューシート)は自分のためだけでないことを実感した出来事だった。