水干沢
23-0701水干沢
午前3:00起床、4:00出発、雨が降っている。Kリーダーは行く気なのだ。天気予報はかなり悪い。沢なので多少の雨は気にならないが、昨年途中の道が崩落していたことも気になる。しかし会山行ということであり出来れば実行したい。雨が強くなれば途中撤退も頭に置いておこうとリーダー。とにかく出発してみよう。そんなことを考えながら車を出した。
百名山を始めてから沢に行くことが減った。夏季の高山が沢のシーズンと重なるからだ。以前は「沢歩き」と称して夏季に10回以上は行っていたのに最近は年に1,2回と減った。「沢歩き」に付き合ってくれる人が減ったことも原因だ。みんな始め沢歩きに付き合ってくれてもあっという間に上達してもっと困難な登攀系の沢に移行していく。技術が進歩どころか退歩している自分は「一人で行ってもなあ。」とついつい沢には足が遠のくということだ。沢には一人で行って下山で迷い、電話をかけられるところについたのが午後9時、タクシーを呼んで(その頃携帯が未だなかった)帰宅は午後11時を過ぎたことがある。これに懲りて沢には一人で行かないことにしている。
水干沢は奥秩父の笠取山に突き上げる途中の苔むした岩がきれいな、初心者向きの最後まで詰められる良い沢だ。何度も笠取山には来ていたのに双耳峰だと教えてもらったのも沢の時だった。笠取は以前から沢を詰めて登山道の案内表示を見ると右へ行っても左へ行っても山頂となっているのが不思議だったが双耳峰なら話が良く分かる。
この沢には滝と言えるような滝はなく、3㍍ほどの段差が2,3箇所あるだけだ。普通に沢を行う人には確かに物足りないだろう。でも自分は結構気に入っている。
集合場所の作場平は駐車場が整備されトイレも新しくなっていた。テント禁止と書かれていたがトイレ、水場もあり平坦地がこのように広がっていては張りたくなる人も多いことだろう。ここに車を置いて奥秩父をあちこち歩き回ることも出来る。
今回ははじめ「沢を始めよう」というような人を対象に考えて提案された山行だったが結果としては沢の後の「テント宴会」を楽しみに集まったどちらかと言えば沢ベテランたちの集まりになってしまった。何とAさんはテント宴会のみの参加である。
今にも降り出しそうな空の下沢支度をして、記念写真を撮り歩き出す。はじめは沢に沿って林の中を行き、20分ほど歩いてベンチの所から入渓した。全員沢靴を履いて歩いているので時間に無駄がない。暗い沢を歩き出す。
歩き出して感じたが、実に楽しい。考えてみれば1年ぶりの沢だ。ジャブジャブ水の中を行き、安定した岩を踏んで飛び、ナメ滝の上をじわっと踏んで滑らないように歩いて行く。3㍍ほどの滝とは言えない段差を越えるのも楽しい。みんなには少し緊張感が不足している沢かも知れないが自分は充分おもしろい。途中雨も降り出したが、もう全く気にならない。気持ちはくつろいでカッパを着れば多少の雨の中なら昼寝が出来そうだ。この感覚は沢ならではのものではないか。足も頭もびしょびしょなのだが一向苦にならない。登っているので体温が上がり丁度良くなっているのだろう。これが寒くなって身体ががくがくし出すと少し辛いのだけども。沢をする人は釣りをする人が多い。山菜に詳しい人も多い。銃で猟をする人もいる。やはりより自然に浸っていたい人が多いのだろう。沢から始まっていろいろなことを始める。
植村直己さん、角幡唯介さんなどは山からはじまり自分が一番望ましい生き方を選びながら行動することを楽しむようになった。こういう人達は都会で自然の中に身を置くこと少なく生きていたとしたら、どんな人生だったろう。人間は自然の中を走り回り狩りをして食べ物を得て、時には飢えて生きてきた圧倒的に長い時間がある。時にはどんな人も自然の中に身をおきたくなるのが当然なのだろうと思う。
うろ覚えだが山本周五郎の本にもどこか東北の藩主が、普段は様々な気苦労の中で生きているのだが冬の間、親しくしている老またぎと共に山の小屋に籠もり、雪山の中狩りをして過ごす幸せを描いている場面があった。これも同じものがあると思う。江戸時代の東北の山奥とは一体どのような自然であったか。深くて豊かで強烈で厳しかったのだろうと思う。
植村直己、田部井淳子、野口健、青木達哉、山野井泰史、竹内洋岳、渡部恒明・・・・
とても沢山の登山家・探検家がいる。さらに著名な山岳会、大学からはさらに次々と登山家・探検家が生まれている。この方向のベクトルは強く太くなっていくようだ。
どうも話の方向がずれました。
Kリーダーみなさま楽しい沢をありがとうございました。また機会がありましたら歩きの沢をよろしくお願いいたします。