・1978年創設
・東京都山岳連盟所属
・例会毎月第1水曜日

雷鳥沢泊・春の立山・雄山

2023/05/04(木)
報告者
加藤隆太郎
山域
立山
ジャンル
春山登山
天候
快晴
行程
報告

23-0503 雷鳥沢泊-立山(雄山)
調布西友横で午後8:30集合終了、車の荷台がSさんの荷台方が広いのではと急遽変更した。この四月からSさんは東京住まいだ。これからの山行が楽しみになる。何しろ企画の鬼が企画部長なのだから期待が高まるというものだ。
12:00少し過ぎ到着、扇沢は無料駐車場がほぼ満杯だったので、有料駐車場のトロリー入り口とトイレ近くに駐車する。東京はもう温かいがこちらはそうはいくまい。私は寝袋を出そうかととも考えたがザックをひっくり返すのが面倒でやめシュラフカバーを取り出して休んだ。これはうまくいった。車での仮眠は眠れないことが多いが今回はおかげで比較的によく眠れた。
翌朝7:00のトロリーバスで出発。扇沢室堂間12600円、昨年9月Yさんと来た時には9千円台だったのが値上がりしたものだ。Yさんに乗車券を前もって買っておいてもらい助かった。有料駐車場もほぼ満杯、外国人の姿が目立つ。中国韓国の人は言葉で、インドや東南アジアの人は見た目でわかる。朝早めの便はハイカーの姿も多い。周囲の高山には雪が残っている。扇沢駅でバスを待って並んでいるとき一つ1200円のお弁当を売りに来た人がいたが声掛けが面白かった。買う人は少ない。
トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスと乗り継いで室堂に到着。雪の大谷は今年は雪が少なく壁は低いそうだ。それでも見学したい人は多い。
名だたる山山が眼前に迫る。夏もいいが春のこの季節もいい。山々には雪がかなり残っている。スキー、ボードのシュプールがあちこちに残っている。荷物を担いで雷鳥沢のテンバまで歩く。Yさんがテントの本体とポールを持ってくれた。それでもフライを入れたバックを持っているので歩きにくい。雪の斜面を慎重に降りていたら、後ろから来た人がいとも簡単にすたすたと下る。なんだ平気なんだ。と気づいて我々もすたすたと下る。
途中観光客とハイカーたちの人だかりがある、次第に近づくと冬毛のライチョウが2羽餌をついばんでいる。冬毛のライチョウは初めて見た。少し黒い夏毛も顔を出し始めていた。
今日は特に予定はなく、テントを張れば後は入山祝いの宴会だけだが、テントを張って山々を眺めていると少し歩きたくなり3人で剣の見えそうな尾根を目指して歩いた。一人はテントキーパー。
小一時間歩いて尾根を回り込むと剣岳が見事に見えた。向かいには奥大日岳がそびえる。良い足慣らしになった。
テンバに戻るとテントキーパーがとても強い紫外線を浴びて寝ている。顔が真っ赤に焼けている。後でこれは痛そうだ。3人はここから温泉に入りビール買い出し。テントキーパーは昼寝の続行を選んだ。
温泉は最高だった。ゆっくりつかり山の景色を存分に楽しんだ。
午後2:00過ぎから入山祝いの用意、と言ってもKさんが一人でやってくれるのをほかの3人は見ているだけだが。三食なます、具たくさんのアヒージョ、チジミ、野菜たっぷりの肉鍋と、山の中とは思えないすごいごちそうが続いた。そしてこれは後で知るのだがこの経費が一人わずか500円なりだった。びっくりした。Kさん本当にお世話になりました。重かったでしょう。
これらを肴に山を眺めながら飲むビール、これは誰が見たって極楽浄土の世界だ。ゆっくりと時間が流れていく。
Sさんの名古屋時代の山岳会の方が近くにテントを張っていた。こちらの方々は雪を掘ってテーブルを作成しそのうえで宴会をしていた。よく見るとテーブル、風よけの雪ブロックがテンバのあちこちに作られている。各山岳会の研修を兼ねてのものと思われる。我々はそう言ったことは一切せずに時間をひたすら楽しんだ。

23-0504 雷鳥沢泊-立山(雄山)
夜明け前から山の稜線が青く光っている。今日も快晴、風もない。これ以上は望めない天気だ。昨夜は午後8:00ごろ就寝した。寒かった。はじめはシュラフのチャックが閉まっていなかったこと、チャックを閉めてからはテントの換気口を閉めてなく換気口が私の頭の真上にあったことが寒さの原因だ。
しかし今日は雄山に登る。午前4:00には全員起床、テントを出ると見事に立山連峰の全山が見える。暗いうちからヘッデンが尾根の上のほうに見えていた。
朝食を各自摂る。3人が乾燥ご飯だった。ご飯を食べてコーヒーを一杯飲む。2人はアタックザックを持参しておりそれに荷物をつめる。もう2人はしょってきた大型中型のザックに荷をつめる。もちろん今日不要なものはビニール袋に入れてテントの中においていく。
雄山へのコース取りは昨日考えた。雄山への道を見ていると多くの人が一の越を目指して雪の斜面を直登している。なかなかな急登である。我々は一度ミクリが池のほうへ出て一の越を目指す。このほうがいくらか楽ではないかというのが我々の考えである。
途中から夏道を外れて斜面を大きくトラバースして一の越への登りにかかる。荷は軽いが今シーズン初めてといってもよいアイゼン履きなので結構疲れた。何度か休みながら一の越にたどり着く。一の越では思わず声が出るような絶景が待っていた。笠ヶ岳、針ノ木、槍、雲ノ平、富士山まで見える。実に気持ちが晴れ晴れとする。
しかし雄山の頂上方面を見ると、これは大変そうである。「はじめの登りがきついんですよね」とYさん。また雪が解けて岩が出て砂利のところは特に危険だと下でも言われた。この時期の腐った雪の怖さだ。アイゼンを取り外して登りだしたが途中凍っているところがある。Yさんと「アイゼンをつけよう」とまた履く。Kさんは登山靴でするすると行ってしまっている。このつるつる氷を滑らなかったのかと思う。上で聞くと「私は岩の出ているところを拾いながら、かつ手で岩を掴んで登ったので楽でした。怖くはなかったです。」とのこと、なるほどなと思った。この時間はまだ雪は腐っていなかった。それはよかった。
雄山への途中平らなところで景色を楽しんでいたが、Sさんが来ない。大丈夫かなと下を見ているとしばらくしてSさんが来た。何と左足のアイゼンが壊れている。足の前のほうと後ろのほうのアイゼンをつなぐ部分が壊れてブランブランな状態だ。「テーピングをしてください。」とSさん。持参の白い伸びないテープを何重にも巻く「靴が壊れたりするのを見ているのでテープは持っているんです。」とSさん。これで大丈夫と思われたが、雄山の頂上ではまたはずれ、巻きなおした。前のほうだけでなくアイゼンの後ろの方もテーピングしさらに靴ひもで縛った。これでも下りきる少し前ににはまた壊れたが、Sさんは歩き切った。今日は快晴の天気で風もないが、アイゼンが壊れてホワイトアウト、風が強いなどとなったらかなり危険なことだ。天気の急変もありうることだから。準備が大切とまた知らされた出来事だった。
一の越から雄山への道は、黄色目印が下り、赤目印が登りになっていた。上り下りが一方通行、それぐらい登山者が多いということだろう。
一組耳に残ったやり取り、あるグループのリーダーらしい隊長と呼ばれていた男性が言った。「疲れていても苦しくてもそれは言葉にして外の出してはいけない。心の中にしまっておくものだ。そんな思いに負けてはいけない。」言われた女性はもちろん黙っていたが、どういうものか。食事の時に話題にするとSさん「昭和のリーダーだね、思いは出した方が良いと思う。」確かにあの隊長の下でグループが長く存続できるかは疑問に感じた。
 雄山山頂は人が多かった。皆さん天気に恵まれたラッキーボーイ、ガールたちだ。その中に途中で追い抜いたかなりばてていた中年の女性がいた。涙をぬぐいながら「降りたくない」と一人つぶやいていたのが印象的だった。

 下山は一の越以降は登りと違うコースを歩いた。朝方登っているとき雪上車が道を作っていた。どうやらテンバと室堂をつなぐ道らしい、はるか下のこの道を目指して、足跡、シュプールのない大きな斜面を気持ちよく歩いた。夏はここは何だったのか、テンバ近くになると雪の下に沢が七・八メートルほど下を流れていた。
 下山し一休み後テント撤収、荷物をすべてザックに詰める。こんなに重かったか。Kさんがテントの入っていたバックを(ペグ入り結構重い)、Yさんがテント本体を持ってくれる。私はフライとポールだけだがかなり重く感じる。室堂までが遠い。また、扇沢までが結構荷が重い。
おろすと人ごみの中でうまく担げないのでおろさずに行く。最後の一頑張りが必要でありました。
 今回の立山は天候に恵まれ、事故もなく大成功、忘れられない山行となりました。Sリーダー、皆さんありがとうございました。

人が芥子粒大、歩いた斜面の上部
雪に埋まった鳥居
ライチョウ
壊れたアイゼン