北ア劔/八ッ峰 (上半)(+北方稜線)
〇7/6(水):(圏央道)→(中央道)→(長野道)安曇野IC→扇沢P:0730→(バス、ケーブル)→室堂:0900→雷鳥沢→劔沢テント場:1400 (テント泊)
○7/7(木):劔沢テント場:0200→(劔沢雪渓下降)→長次郎出合い:0400→(長次郎谷登り)→熊ノ岩:0630→Ⅴ.Ⅵのコル:0700→Ⅵ峰Dフェースの頭:1700 (ツェルトビバーク)
〇7/8(金):Ⅵ峰Dフェースの頭:0500→Ⅵ峰→Ⅶ峰→Ⅷ峰:0830→八ッ峰の頭:1130→(長次郎雪渓:下降/登り返し)→(北方稜線)→本峰:1745→(別山尾根ルート下山)→剣山荘→劔沢テント場:2345 (テント泊)
○7/9(土):劔沢テント場:0900→御前乗越→雷鳥沢→室堂:1500→(バス、ケーブル)→扇沢P:1645→温泉、ごはん→帰京
・13年前(2009)、初めて劔岳を登った時から憧れだった八ッ峰。 やっと念願叶ったものの非常に厳しい山行となった。 重荷を背負ったままの登攀も大変だったが、それ以上に雪に阻まれ(クラック、クレバス)、進むことも戻ることも出来ない状態に陥った。
この時期、雪が多く残り、雷鳥沢キャンプ場は、2/3以上雪面だった。 対岸へ渡る橋が流されて?それとも外して?無かったが、雪が繋がっていたので雪上を渡った。 劔沢においては9割が雪面で、唯一、野営管理所周辺だけは雪が無かったので、そこにテント設営した。 七夕の夜、天の川を見れたことは嬉しかった(久し振り)。
歩くのが遅いため真夜中に雪渓を移動。それでも熊ノ岩に着いた時には十分、陽が昇っていた。Ⅴ.Ⅵのコルを見るとかなり割れている。 岩稜への接地面も途切れているため、取り付き点へ行くだけでも大変になることが予測された。 上がってみると案の定繋がっておらず、岩稜と雪の隙間を一旦下降し、そこから登り返すことになった。 しかし、上がっても途中の壁に阻まれ、下降、横移動、そして登り返しを3、4度繰り返した。 その後も同じようなことを繰り返し、結局、その日は、Ⅵ峰Dフェースの頭まで進んだところで時間切れとなった(天候が怪しければこんなところでビバークはしないのだが、幸い天気は安定していて風も無かったので、ピークで一晩過ごすこととした)。 その分、翌朝にご来光、劔、八ッ峰への陽光を拝むことが出来た。
次に、Ⅷ峰通過でルーファイミスをし、またも雪渓に阻まれた。 幅5mぐらいの雪面トラバースだったが急傾斜のため、滑ることが許されないトラバースだった。ちゃんとしたピッケル、アイゼン装備ならばリスクも少なく通過出来たのだが、今回持って来たのは、バイルに簡易アイゼン(前爪ありだが)だったため、この急斜面に対してはかなりのリスクだった。 先にも後にも進めない状況になったが、覚悟を決め一歩一歩のキックステップに時間を掛けトラバースすることとした。
八ッ峰の頭自体は階段状のため難なく登頂。 やっと、上半登頂出来た。 結局、ロープを使ったのはⅥ峰Aフェースの頭からの下降の1回のみで、その他は、スリング、補助ロープでクライムダウンした。
ここまで来るのにかなり消耗したため安全を考慮し、一旦は長次郎谷を下降することとした。 しかし、この判断が間違いだった。100mぐらい降りたところで大きなクレバスに当たった。上からは見えなかった大きなクレバスだった。 どう見ても超えられないので止む無く登り返し、北方稜線を進むしかテント場に戻れないと言う選択になった。途中で暗くなったら今夜もビバーク覚悟。 途中、雪渓に阻まれながらも何とか明るいうちに本峰に着くことが出来た。 ここで初めて人に会った。源次郎尾根を登って来た4人Pだった。 この時点で18:00。 夏至でなければ真っ暗な時間だ。 4人Pも暗くなることは覚悟で早々と降りていった。 その後、4人Pは平蔵谷雪渓を、私は別山尾根ルートを下ることとした。 今思えばこの判断も間違いだった。 平蔵谷を降りていれば、もう少し早い時間にテント場へ戻ることが出来た。
翌朝、野営管理所の方に「帰って来ないんで心配してたよ」と言われた(テントは私の1つしかなかったので)。 ヘロヘロ状態故、御前小舎までの登り、雷鳥沢からの登りで足が上がらず、結局、扇沢Pへ着いたのは夕方になってしまった。
*今回も、いろいろな場面で反省点あり。雪渓の見極め、エスケープルートの見極め、重荷(テントはデポしたもののそれでも重い)、ピッケル、アイゼン装備の軽視。 今後の山行に活かしていきたい。