十石山(飛騨山脈南部) 滑走
乗鞍岳高原民宿 = 白骨温泉ゲート ~ 十石山山頂避難小屋 == 滑走 == 白骨温泉ゲート = 乗鞍高原温泉
昨日(18日)の乗鞍岳に連なる 山スキー 梯子です。
19日(日曜日)十石山
<猛烈なヤブ漕ぎとなった、リベンジの十石山>
朝は5時起床、自炊の朝食を済ませ 白骨温泉がわのアルプススーパー林道ゲート前にK@愛知さんと予定とおりam7:00に合流。
十石山は昨年は3/18日以来のリベンジである。
その時の書込み:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=748768195&owner_id=4631296
今年はゲート付近、全く雪がないスキー板を担ぐ時間を惜しんで、平湯側から入山しようとスーパー林道を進むが、しばらく行くと落石がり、その先も崩壊状態となっている。
仕方ない、引き返し白骨温泉の裏から取り付いた、am7:30分、標高1,440m地点。
白骨遊歩道を進むがなかなか高度を上げてくれない。まして遊歩道は冬明けで崩壊のままで今だ人跡なし状態に、怪しいと気ずくが既に遅し。
GPSと地図で位置確認してルートミスが判明。
ルートミス時の鉄則は、元へ引き返す事であるが、豪の者たち、尾根を探し直登と決めてしまう。
数メートル戻ると獣道らしい踏み跡あり、尾根へ取り付けそうである。
取り付いたはいいが、かなりの急登である、背に担いでるスキー板が木枝や熊笹に掛かって思うように前進できず苦しい、しかしこれが楽しい。
沢を詰め源頭部を這い上がる気分である、気分はスッカリ夏気分となった。
大きな岸稜帯が立塞がり行く手を阻む、トラバースし隣の尾根へ取り付く、また熊笹薮の急登は転落したら大変だ緊張が続く、熊笹が深くなりメンバーの姿が隠れてしまう、背負っているスキー板の先端で各自の位置を確認する。
自分はアンカーで行く、先頭は沢屋のK@愛知がルート取りすてるので安心だ。
しかし可なり厳しく苦労してる様子が判る。
今回も、登頂できず惨敗かと思い始めたら、1800mの台地付近にへたどり着いた。9:40分2時間10分もの間、人跡未踏の藪漕ぎだった。
この1800m付近の台地付近からはシール歩行可能である。
誰言うとなく、もうシール歩行体制となっている。
しかしこれからの樹林帯は長い急登であるが、勝手知ったるルートだ、ヒタスラ登るだけである。
森林限界を超えると、明るい白銀の山々と青空が眼前に展開してきた。
広大な雪面を上へ上へ上へ、空へ、空へ、空へと 登っていく感じである。
山頂より北東へ転ずると「十石峠避難小屋」が雪の中から半分ほどを出していた。
この十石峠避難小屋は地元「十石峠の会」に依って建てられ、維持管理されている。
「十石峠の会」は、小屋だけではなく登山道の整備も欠かさず行なわれている。
とろころが 「十石峠の会」の代表 竹前 T子さん 2003年3月18日に
この十石山にて山スキーで雪穴に転落し、遺体で収容されたのであった。
竹前 T子さんは大学生の頃に登山を始め、中野市職員だった1980~81年に中野山岳会ニュージーランドアルプス登山隊に参加し、仲間の隊員三人を滑落などで失った経験から、山岳遭難防止活動に取り組むようになり、この月の2、3日にも新潟県のスキー場で雪崩防災基礎技術研修会を実行委員長として開催したばかりだったそうだ。
登山者が少なく、静かな十石山。この十石山を愛し、十石山で亡くなったひと。
若い頃から山に親しみ、山の安全に尽くして生きてきたひと。
果たして自分も そのように山を愛して年齢を重ねてゆけるだろうか。
そんな思いを抱きながら、十石峠避難小屋からの広い雪面を快適に滑走開始した。
最近ここは誰も踏み込んでいない様子、ノートラックの春雪面となった明るい斜面を キャホー、キャホー 歓声を上げながら楽しむ。
白骨温泉裏の取り付点に戻った時刻は pm4:30分、約9時間の行程となった。
下山後は、沢渡の掛け流し温泉で疲れを癒して、帰路についた。
<コースタイム>
4/19日(日)民宿 = 白骨温泉ゲート7:00 ~ 11:00十石山山頂避難小屋12:00 == 滑走 == 14:00白骨温泉ゲート = 乗鞍高原温泉 = 帰路へ